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サイクリング情報-Team29チャレンジ
このサイトでは、Team29編集長のSGが関東近郊、やがては日本中を自転車で疾走、日本中そして世界中の自転車を愛する人に向けて、役立つサイクリング情報を提供していきます。

新日本プロレスと誠心会館の抗争 前編

今回は心に残る、かつての新日本プロレスのストーリーについて記載します。そのストーリーは1992年に行われた、新日本プロレスと空手の誠心会館という団体の抗争についてです。


今から20年前の話ということで、自分が覚えている範囲での記述となりますが、この抗争の始まりは、ある会場で誠心会館の選手が、新日本プロレスの小林邦昭選手と控え室で揉め事を起こし、抗争が開始するという、些細な事から闘いが始まるというストーリーでした。


東京ドームで誠心会館のメンバーが新日本プロレスに宣戦布告をすると、数日後、まず当事者である小林選手と誠心会館の実力NO.1、斉藤彰俊選手が闘うことになりました。


この闘いでは小林選手が負傷して敗北するという、ショッキングな結末となり、週刊プロレスという雑誌では、「プロレスが空手に負けた」などと当時の新日本プロレスファンの心理を煽る、屈辱的な表現が使用されました。


負傷した小林選手の仇をとるために、次の闘いで新日本プロレスは、当時若手選手だった小原道由選手を抜擢して、斉藤選手に挑む事になりました。


しかしこの闘いでも小原選手が斉藤選手の蹴り技などで血の海に沈められ、新日本が連敗する結果となりました。


この一連の闘いでは、通常のプロレスの試合とは異なり、果し合い的な位置づけの為、選手の入場シーンでは入場テーマの音楽は使用されず、観客の歓声で盛り上がる中、両陣営が入場するという演出が使用されました。この演出がさらに“リアル感”を醸し出し、闘いを盛り上げることになりました。


そしてこの闘いの輪に、新日本の越中詩郎選手と誠心会館の田尻茂一選手も加わり、タッグマッチ形式での闘いなども行われました。


徐々に新日本が盛り返していき、一連の抗争は両国国技館で小林選手対斉藤選手の因縁の対決が行われ、今度は小林選手が斉藤選手を大流血に追い込み、小林選手が勝利となり、新日ファンが歓喜することになりました。


続く千葉での闘いでは、越中選手と誠心会館の館長である青柳政司選手の闘いが行われ、青柳選手はこの闘いに負けたら誠心会館の魂が入り込んでいる、道場の看板を新日本プロレスに差し出すという決意を表明し、まさに“命を掛けた”闘いとなりました。


しかしこの闘いでは、越中選手が青柳選手をドラゴン・スープレックスで投げ捨てるなどして、越中選手の完全な勝利となり、一連の抗争は新日本に軍配が上がり、抗争は終結することになりました。


勝利を喜ぶ新日本の控え室では、当時の現場最高責任者である長州力選手が、小林選手達に誠心会館から奪い取った道場の看板を「返してこい」と指示を出し、控え室で長州選手が斉藤選手達に遭遇すると、「お前達素晴らしいよ」と気迫溢れる闘いを称えるシーンがありました。


すると一連の抗争で張り詰めた空気の中、心身をすり減らし闘い続けていた斉藤選手の目には涙が溢れるというシーンが週刊プロレスなどで報道されました。


この闘いを通じて意気投合した小林選手、越中選手と斉藤選手、青柳選手は反選手会同盟というグループを結成することになり、後に平成維新軍と改名して選手も増員。浮き沈みの激しい新日本のリングでおよそ7年に渡り活動するというビック・ムーブとなりました。


次回はこの一連のストーリーの中で、自分が忘れることが出来ない名場面がありますので、ピックアップして記載していきます。
編集長(SG・記)
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テーマ:自転車 - ジャンル:車・バイク

【2012/04/27 14:00】 | 忘れられない一日

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